2009年10月22日木曜日

竹馬の友


ずーっと動かず、一点を見つめて待つ。
誰が来るのか、おいらには判る。
  

何年逢ってなくても、すぐに過去に戻れる。
  

こうして、毎日、毎日遊んだよね!
 

いくぞー!  オッケー!
 

次は、こっちだよー!   りょうかーい!
 

一緒に嗅ぐ土の匂い、
 

草の匂いも・・・
  

とびっきりの笑顔も・・・
 

しぐさも・・・    幼い頃のまんま。
 

なあんにも昔と変わらないね。。。
    

今日の日に・・・      めいっぱい感謝です。
  

2009年10月18日日曜日

横浜まで


横浜で寮生活をしている兄ちゃんが引越しするんで、名神・東名をぶっ飛ばして、おっ父・おっ母と一緒に行ってきたよ。
    

何度も渋滞に出くわし、みんなお疲れ。
でもね、サービスエリアのドッグランで休憩を兼ねて遊べば、心身ともにリフレッシュ!
初対面のワンコばかりだけど、みんな上手に遊べるもんね。
    

兄ちゃんの住む寮に着いたけど、おっ父もおっ母も大忙しでドタバタしてる。
荷物いっぱいの狭い車内に、ひとりぽっちでずーっと我慢していたおいらを見て、
「かわいそうだから、部屋に入れてあげて下さい。」って、管理人さんが特別に寮の中に入れてくれた。


とっても綺麗に管理されてる独身男性寮。
おいらも独身男性だから、入れてくれたんだな!??
  

車中泊の予定が、寮のお部屋泊に変更。ばんざーい。
排泄で外に出るため廊下を歩いていたら、出会ったお兄さんの目が点になってた!(笑)
「なっ、なっ、なんで、寮の廊下に、こんなデカイ犬がいるんだぁーーっ!」って。
びっくりさせてごめんね。
管理人さん、ほんとに、ほんとにありがとうございました。
 

2009年10月15日木曜日

ピートとパパの会話(その66 太宰治とチーズフォンデュ)


パパ 「この前、NHK教育で太宰治の斜陽を放送していたね」
ピー  「お~お~、夜遅くまでね」
パパ 「今回は、太宰の愛人 太田静子に焦点をあて、太宰の
    心模様を考察した番組内容だった」
ピー  「ふーん、で、斜陽って何よ?」
パパ 「お日様が西に傾いていくことだよん」
ピー  「なんだ、夕方じゃん」
パパ 「じゃなくてね、戦後の革命的な時代変化の中で、
    没落して行く家族を描いた小説なのだ」
ピー  「だから斜陽? そんなのが面白いの?」
パパ 「戦後間もなくのベストセラーだ」
    「ま、当時の時代そのものだったし、太宰の人生そのもの
    を描いていたからね」
ピー  「太宰の人生?・・・描く?」
パパ 「斜陽という小説は、元々プロレタリア文学臭いと思って
    いたけど、やはり太宰は一時期左翼思想に被れていた」
ピー  「でもさ、何故NHKは太田静子に的を絞って制作したの?」
パパ 「あ~それは、未発表の二人の手紙が公開されたからだよ」
    「NHKのプロデューサーは、そういうものを見逃さないんだなぁ」
ピー  「で、太宰治と太田静子の関係は?」
パパ 「ふふ、そこが面白いんだけど、先ず太宰と静子の生い立ち
    から見ていこう」
    「二人とも裕福な家庭に育ったというのが共通点」
ピー  「ほ~、人生の出発点だ」
パパ 「生活の心配がないから、二人とも勝手気ままな性格を身に
    つけたとパパは思っちょる」
ピー  「自由思想というか、自己中心的なんだね」
    「それが二人を結びつけた?」
パパ 「ま~ね、太田静子なんちゅーのは、当時としては珍しい
    自由恋愛なんてーことを言っちょった」
    「ほんでその頃太宰は、自分が没落していく予感を持ち始める」
ピー  「予感?」
パパ 「ま、これはロシア革命の影響を受けたことによる予感だと
    思う」「自分が支配階級に属しているという認識だ」
ピー  「先程の左翼思想によるプロレタリア文学かい?」
パパ 「ほんでそれが、戦後の農地改革によって現実化してしまう」
ピー  「GHQによる戦後日本の改革だ」
    「そこが小説 斜陽の始まりというか、着想点なん?」
パパ 「いやいや、着想は戦前だと思う」
    「チェーホフの桜の園というか・・」
    「チェーホフの戯曲と自分の人生が重なって見えたんだろうね」
ピー  「それが予感かぁ」「ちゅーか、着想のパクリじゃないの」
    「ところで人生が重なって見えたとは?」
パパ 「自分の人生も、桜の園と同じように没落していくと
    思ったのさ」
    「それでもう煩わしい人生を諦めてしまうというか、自分を
    外から眺めてしまうんだ」「いっそ死のうかと」
    「ま、普通の人は何とかしようと思うんだけど、それがない」
ピー  「どうしてさ?」
パパ 「裕福な出身だからさ。ガッツ精神に乏しかったと考えられる」
ピー  「そこまでは分かった。太田静子とはどうなんだい? 気になる」
パパ 「静子とは文学を通じて知り合うんだが、没落していく静子を
    通して斜陽を書こうとするんだなぁ。太宰は」
ピー  「自分も没落するんだから、自分だけで書けばいいじゃん?」
パパ 「それは単なる随筆というもの」
    「純文学というか、小説なんだからさぁ。相手が必要なんだ」
ピー  「わからんの~」
パパ 「小説は、相手を通して感じるその時々の心模様を文章として
    綴ってある」
    「だから作家は、自分で物事を体験しなければ、感情の
    リアリティさを表現できないんだなぁ」
    「小説はね、観念では書けないんだ」
ピー  「はは~ん、だから小説家は、行く先々で女性をつくるのかぁ」
    「川端何がしも然り、だねぇ・・・」
パパ 「その体験が、深~い、そしてリアルな小説となるのさ」
ピー  「分かった! 太宰は小説のために太田静子を必要としたんだ」
    「正に斜陽に打って付けの女性を見つけたんだねぇ」
パパ 「そう、斜陽を書く上で必要な感性を静子から得たんだ」
    「何故なら、静子は斜陽そのものだからね」
ピー  「なるほどねぇ」「数人の女性の中で、静子にだけ興味を
    示したのはそれでか~」
    「桜の園の没落貴族だぁ、チェーホフの世界だねぇ」
パパ 「ま、静子に斜陽のヒロインになることを、長年掛けて
    口説いたんだろうね」
    「そして、没落して行く日々を日記として綴らせ、それを
    小説斜陽の原案とした」「斜陽は静子との合作だ」
ピー  「口説くねぇ・・・」
パパ 「さて、これからが太宰の真骨頂だよん」
    「斜陽の主人公二人には、悲劇的に人生を終焉させなければ
    ならない、と太宰は考えていたと思うんだ」
ピー  「そうか、悲劇にすることで、より小説的に描けるんだ」
パパ 「しか~し、太宰にとって没落は、悲劇でも何でもなく歴史的
    事実として認識できた筈なんだよ」
ピー  「かつての左翼思想による歴史認識というか、唯物史観だろう?」
    「大衆が階級闘争で勝利し、話は終わっちゃうという筋書きだ」
    「主人公となるのは、偉大なる労働者階級だ」
パパ 「そうそう」
ピー  「な~る、自分は歴史認識が邪魔をして、没落側の人生を書け
    ないんだ」「そやから静子の没落日記を必要としたんだな」
パパ 「だけど彼は小説家だ。静子の日記を素に、小説の中で主人公に
    死を迎えさすことで、没落のどうしようもないやるせなさというか、
    そういう人生の虚無感を描こうとしたんじゃないかと・・・」
    「それが後に心中へと結びついていく」
ピー  「ほう、時代背景だねぇ」
パパ 「じゃーが、ここでハプニング!」
ピー  「なんじゃ? 表現が現実的だね」
パパ 「そう現実。 没落の静子が妊娠したんだよ」
ピー  「それが何か?」
パパ 「ということは、静子にこの現実を生きようとする心が
    芽生えるのさ」「人生が没落でなくなる」
ピー  「折角口説いたのに、わやくちゃじゃん」
パパ 「太宰は、もはや静子に死ぬ覚悟が無い事を悟るんだ」
    「そして、遠ざかっていく」
ピー  「えっ、え~!」
パパ 「静子は捨てられたと思うんだけど、実際は静子への愛
    だと理解したほうがいいな」
    「ここで小説斜陽の方向性が変わっちゃうんだ」
    「さらに太宰の中に、自分が小説に取って代わろうとする
    意識がはっきりと芽生えてくる・・・」
ピー  「それこそパパの創作だろう?」
パパ 「静子の妊娠が1947年、同年に山崎富栄という女性を愛人
    としたんだ」
    「それで一緒に死のうと。またまた口説いたのさ」
ピー  「あのね~、それは、たぶらかしと言うんだよ。酷いね~」
    「つまり、山崎富栄は静子の身代わりなんだ」
パパ 「そう思うね」
ピー  「じゃ、太宰にとって斜陽という小説は、静子と心中する
    ための脚本だったというわけ~?」
パパ 「当初の計画では、小説斜陽の主人公達が悲劇の死を遂げ、
    その原案のヒロイン、つまり静子と共に自分も心中する、
    という太宰にとって完璧なまでの筋書きだったと考えられる」
ピー  「なぬ、なぬ、なぬ~」
パパ 「でないと後日、何でもない山崎富栄と心中する動機が
    見当たらない」
ピー  「?そうかね~」「な~ぜ心中なんか・・・」
パパ 「富栄は、太宰のロマンティシズムにコロっと参ったんだ」
    「そして、その気になった」「太宰の真骨頂だ」
ピー  「ふ~ん、としか言いようが無い」
パパ 「これは、太宰の没落の美意識だと思っちょる」
    「そこに太宰の精神性というか、彼の死の美学を見る
    気がするね~」
    「しかも、心中というのが太宰文学のミソだ」
ピー  「ほう、そこに最初に話した太宰の自己中心性があるのか
    知らん?」「おいら混乱してきたよ」
パパ 「で、準備万端整え小説 斜陽を発表する」
    「少しして人間失格という小説も発表する。これは、
    静子に対する裏切りの理由付けだと思うな」
    「自分はくだらない人間だから死んじゃう」
    「でも、あんさんは生きなさい、とね」
ピー  「ふ~む、太宰自身の斜陽かもねぇ・・・」
    「何かおかしい人生だよ」
パパ 「そして、斜陽発表の翌1948年に山崎富栄とともに
    玉川上水にて入水心中し、自らの斜陽も完結させた」
ピー  「無理心中じゃんかー、富栄は太宰に付き合っただけだ」
    「太宰の中に何か奇異なものを感じるな~」
パパ 「そこが不思議なんだけど、小説斜陽では創作をせずに
    そのままの現実を書いちまうんだな~」
    「で、自分が小説の世界に入り込み、斜陽を演じてしまう」
ピー  「と、考えるならこうかい。静子の妊娠で小説の中の主人公
    と、静子自身をも死なせられなくなった」
    「だから、自らの斜陽を完結させるためにも、山崎富栄という
    女性を静子の身代わりにしてまで心中する必要があったと」
    「倒錯だねぇ、これは~」
パパ 「ま、太宰特有の精神世界としか言いようがないんだなぁ」
    「だけど、そういう太宰の世界に魅力を感じる人もいる」
ピー  「ほん?」
パパ 「昔から咳き込み男に眼病み女と言って、不思議な魅力を
    感じるんだけど、まー、そのようなものさ」
    「太宰は5度目の心中で、やっと想いを遂げたんだ」
ピー  「作家というのは、理解に苦しむ人々だ」
パパ 「ま、以上は全部パパの推論だけどね」
ピー  「間違いであって欲しいものだ」
    「で、チーズフォンデュとは?」
パパ 「ひょんなことで、太宰治と縁のある方達とチーズフォンデュ
    を食べただけのことさっ。へへ」
ピー  「何じゃそれは~?」

2009年10月11日日曜日

関盲ボランティアズデー


とってもいい天気に恵まれて。 訓練センターは、大賑わい。
 

同窓犬いっぱい。嬉しくて、テンション上がりっぱなし。
  

隣も、うしろも、友達だらけ。
        

懐かしい場所で、しばし、感傷に浸ってる・・・かも?
       

京都のママ(パピーウォーカーさん)におやつをもらうんだ。
あれれ、どっちがおいら???
      

盲導犬訓練のデモンストレーションが始まった。

おいらも、ああいうのやってたっけ・・・   と、その時、
    

おっ母が、おいらを訓練士さんに渡しちゃった!!
   

えっ、これから、やるんですか? 

おいら、キャリアチェンジして、食う・寝る・遊ぶ生活を満喫してるんですけど・・・
   

えっ、ゴーですか。 
  

はいはい、進みますよ。
まあ、これくらいはやれますよ。
 

ストップして、それから?
  

ダウンですね。  次は、ボールで何を?
    

はい。アウト!   上手でしょ。
    

今度は、ターンして、
   

ヒールですね! そのままゴーして、
    

おっ父・おっ母の所に戻って来ました。
   

シットして、終了。 「切れがいいですねぇ。」と、訓練士さん。
なんなら、もう一度訓練センターに戻りましょうか、なーんちゃって!

懐かしく、楽しい一日でした!
 

2009年10月10日土曜日

秋の一日


ブルーベリーは、もう終わってしまったし、次はミカンだな。
 

おっ母~、あのねぇ~、のどが渇いたからみかんを食べたいんだけど・・・
   

クンクン、さわやかないい香り!
 

パクッ!


まだちょっとばかし酸っぱかったけど、三個食べたぞー。
 

退屈しのぎに、軍手を咥えて・・・    無視された。。。
 

紅葉は、もうちょっと先だな。
 

2009年10月7日水曜日

   いつも、『ボクはピートくん』をご覧くださり、ありがとうございます。

   最近、過去のコメント投稿欄に、このブログとは何の関連もない、
   『迷惑コメント』が入るようになり困っています。

   そこで、暫くの間、コメント欄を閉じさせて頂きます。

   『迷惑コメント』以外のすべてのコメントは、
   大切に保存させていただきました。
   
   これからもよろしくお願いします。
   
   

2009年10月4日日曜日

音羽山~逢坂山~蝉丸神社へ


午前9時、自宅を出発。
国道一号、名神高速を越えて、山道を1時間10分程歩くと東海自然歩道に入る。


給水は、とっても大切。 昔の部活とちゃうもんね!
給水カップは、スノーピーク製のシェラカップだよ。
 

絶好のハイキング日和。
右手に、琵琶湖が見える。
  

ようやく、音羽山に到着。
大津の町並みが、くっきり、すっきり。
  

逢坂山に向かって、まだまだ歩く。
 

やっと、逢坂の関跡に到着。  
 『これやこの、行くも帰るもわかれては、知るも知らぬも逢坂の関』
                                 ( 蝉丸 )
ここでリードを装着して、東海自然歩道にバイバイすると、
    

100m程先で、有名な蝉丸神社に到着。
    

このすぐ近くは京阪電車の大谷駅。電車はおいらを乗せてくれないから、おっ父・おっ母と一緒に徒歩で家まで帰ることに。京阪電車の駅8個、8個も越さないと帰れないんだぞーーー!
テクテク歩く帰り道の途中で、偶然ピスカちゃんに出会ってご挨拶!
 
そして、午後1時25分、無事に自宅着。
二人と一匹は、道中ろくに休憩もせず、水以外なあ~んにも口にせず、4時間25分を歩き倒した結果、むさぼるようにご飯を食べて、   ・・・・爆睡。  

2009年10月3日土曜日

ピートとパパの会話(その65 理系と文系)

 
ピー  「上の写真は?」
 パパ 「友愛の鳩だよん」 
ピー  「今度の首相は、日本初の理系だって?」 
パパ 「そうらしいねぇ」 
ピー  「理系と文系ちゅーのは、何がどう違うのかね~」 
パパ 「ウ~ン、別に同じじゃないのかなぁ」 
ピー  「ほんと~?、でも世間じゃいろいろ言っちょるよ」 
パパ 「サラリーマンを例にとると、文系は入社する前から
      イニシアティブを取ろうと必死になってる者が多い」
 ピー  「何よそれ?」 
パパ 「入社前に研修会と称して新人の囲い込みをするんだが、
     その中でグループを仕切ろうとする者が出てくるんだ」 
ピー  「ほう、それが文系出身者?」 
パパ 「大抵はね」「理系出身者は、与えられた課題に対する
     最適解を得るのに必死だ」「お互いの専門知識を駆使して
     自然と協同作業をやっちょる」 
ピー  「ふ~ん、文系は集まると勢力争いになるの?」 
パパ 「放っておくと、グループの親分を決めるような議論を
     やっちょる」 
ピー  「ほうほう、な~るほど」 
パパ 「一方理系は、論理的な思考方法で正解を導き出す教育を
     受けているから、何事にも科学的手法を取ろうとする」 
ピー  「ほ~、カッカしないというか、頭に血がのぼらないんだ」 
パパ 「これは、教育訓練の結果だろうね」
     「ま、状況でこれも変わってくるんだけど」
 ピー  「だけど何故文系は、損得勘定というか勢力争いになるの」 
パパ 「そらあんさん、文系はどうやって儲けるかばかりを勉強
     してきたからね。つまり、専門が勢力争いなんだ」 
ピー  「そんなことを教えているのぉ」 
パパ 「ほんで、その時々に権謀術数を巡らすからして、文系は
     一番有利な群れに集まってくる」 
ピー  「は~・・、マキャベリの君主論だわ」 
パパ 「おっ! ピートも面白い例えをするじゃ~ん」
     「今日の話題はさ、民主党の政権交代が裏にあるんだけど」
     「民主党の抱える問題は、正に君主論に書かれている中身 
    そのものだ」 
ピー  「えーっ! ルネサンス時代に書かれた政治思想だろう?」
 パパ 「いやいや、現代でも立派に通用する」
 ピー  「でもイタリアの話じゃん」 
パパ 「ところ変われば品変わる、変わり変われど変わらぬものは、
     人の心とオナラの音だ」
     「これは万国共通の世界観・歴史観だ!」 
ピー  「なんじゃってー?!」 
パパ 「だからね、理系であっても銭の分捕り合戦になると、
     やはり勢力争いに発展しょ~るのよ」 
ピー  「目的に利害が発生すると、勢力争いになるんだね
」     「文系は、発生前からそれをやるのかぁ」
     「まるでおいら達のパン喰い競争だなー、はは」
     「だから理系も文系も同じだということ?」
 パパ 「人間は、その時の立場で行動様式が変わるんだ」
     「理系から文転した、なーんてのがあるじゃん」
 ピー  「ほほう」
     「以前、音楽は人間の感情を記号論理で表現していると
     言ったよね」
     「そういう意味では、音楽は理系なのかな?」
 パパ 「そう言えるんじゃないかい」「経理なんかもそうだよ」 
ピー  「え~? 経理って読み書きそろばんの筆頭文系じゃない」 
パパ 「いやいや、例えば税効果会計なんかでコンピューター・
     シミュレーションをやったり、多分に理系的だ」
 ピー  「な~る・・・、だから経理屋さんは、コンピューターが 
    得意なのかぁ」
 パパ 「彼らと話すと、数字に基づく極めて冷静な判断が返って 
    くる」「正に理系だ」  
ピー  「営業のファジーさなんか通用しないね」
 パパ 「じゃけん、営業の人は、経理マンと話すのが苦手なのさ」
     「それに、お金や数字の動きを追って行くと物事の本質が 
    見えてくる」「経理は非常に理論的な仕事世界でもある」
 ピー  「は~ん・・・」 
パパ 「ま、純粋な文系は、音楽を除く芸術系、文学、それに法学
     くらいじゃないかな」
 ピー  「そうか~、金融工学なんちゅーのは応用数学を駆使するし」
 パパ 「だけどさ、絵画の遠近法とか、幾何学的造形なんてのは
     理系のセンスだろうねぇ」「ダビンチは発明家でもあった」
 ピー  「もう訳わからん」 
パパ 「どうしても理系・文系に分けるなら、人間同士で勢力争いを
     繰り広げる人種は文系。これは人間が相手だ」 
ピー  「じゃ、プロレスは文系だな」 
パパ 「・・・・・」     
         「人間ではなく、事物や数理を対象とする人は理系だと言える」
 ピー  「じゃ、哲学者は?」
 パパ 「パパは理系だと思うね。物事の本質を論理的思考によって
     導き出すからね」「論理学なんか、その最たるものだよ」 
ピー  「経済学なんかは?」 パパ 「経済学も完全な理系だと思っちょる」
         「しかし、そこ に イデオロギーがくっ付くと文系の学問となる」
 ピー  「は~ん、階級闘争が入ってくると勢力争いの学問になるんだ」
     「嫌じゃの~」
 パパ 「他にもいろいろあるが、理系と言われる首相も、勢力争いに
     巻き込まれれば、自然と文系の行動様式に染まっちゃう」 
ピー  「単に得意分野が異なるだけで、人間としての本質はさほど 
    変わらないということかぁ」「区分けする意味がないね」 
パパ 「大体やね、社会科学・人文科学・自然科学というように、
     全ての学問には科学という字が付いとるのよ」 
ピー  「ふーん、学問的には全てが科学なんだねぇ」
 パパ 「それを単純に二分して、しかも専門によってあたかも
     人間性が異なるようなことを論じるのは可笑しな話だよ」 
ピー  「専門によって、その行動手法が異なるだけか~」 
パパ 「そ、専門を離れれば、みんな只の人さ。♪」