2009年8月21日金曜日

ピートとパパの会話(その63 放送論)


ピー  「久しぶりの会話だね」
パパ 「暑いからね~、頭も身体も鈍っちょるのよ」
ピー  「上の写真は何なん?」
パパ 「昔、某国営放送で使っていたマイクだ」
ピー  「で、今日は何の話題かな?」
パパ 「MHKと民放についてだよ。特に番組制作の違いについてね」
ピー  「うん? MHK?  何かナマッてないかい?」
パパ 「MHKでええのだ。ふふふ」
ピー  「ほんで、何か違いでもあるのかな」
パパ 「一言で言うと、MHKの番組は静かに進行するが、
    民放は兎に角喧しい。それも、番組と一緒にやたらリズム中心の
    音楽を流している」「それと、スタジオが赤色主体でセンスが無いと
    いうか、色彩感覚にも乏しい」
ピー  「どうしてかな?」
パパ 「注目さすためだろうが、民放は音楽の使い方がほんに
    下手糞だねぇ」
ピー  「NHK、おっとMHKは?」
パパ 「MHKは、番組の内容と流す音楽をうまくマッチさせているね」
    「民放のようにリズム中心ではなく、旋律を重視しているのが
    よく分かる」
ピー  「そういやー、ドラマの音楽演出も巧く感じるねぇ」
パパ 「ドキュメンタリーなんかも、物凄く音楽の使い方が良いね」
    「それに、ここという山場では、バックに流れている音楽をスッと消す」
ピー  「どういうこと?」
パパ 「バックの音楽を消す事で、その場面の緊張感を醸し出すんだ」
    「これは、視聴者を画面に注目させる無意識的効果を狙ったものだ」
ピー  「なるほど~、MHKはよく研究しているねぇ」
パパ 「そう、MHKの番組は、秀才が作った感じがする」
    「まぁ、民放は殆どドンチャンドンチャンしている番組が多いから、
    音楽もドンチャン音楽だ」
ピー  「確かに喧しいね」「MHKをえらく褒めるけど、パパは関係者なの?」
パパ 「何の繋がりも持たぬ。ただの町人おっさんだ」
    「ピート達が出てくる番組制作も、両者でチト異なるよ」
    「以前、ディロンという番組があったね」
ピー  「運命の犬だろう」
パパ 「あの番組内容は、犬をとおして人間の心理状態をたくみに
    描き出したし、社会の問題にまで踏み込んだものとなっている」
ピー  「もし民放が制作したら?」
パパ 「うわっ!可哀想、 きゃっ!可愛いで終わっちまう」
    「忠犬ハチ公の海外版もそうだね」
ピー  「どうして?」
パパ 「本来は、ハチ公を捨てざるを得なかった問題に焦点を
    あてて制作すべきなんじゃないかな」
    「ディロンは、MHKの描いた忠犬ハチ公版だよ」
ピー  「ふんふんふん、分かる気がするね~」
パパ 「民放の番組制作は、一番視聴率が稼げる話題は何かに
    支配されている」「誰かの離婚話とかさ、視聴者にとって
    一番蜜の味がする番組構成をとる」
ピー  「う~ん・・・、でも何故そうなるの?」
パパ 「そら、安定的な視聴料収入が得られる放送局と、民放のように
    スポンサー依存の不安定な経営形態の差だと思うね」
ピー  「民放はスポンサー依存だから、視聴率重視?」
パパ 「それによって収入が増減するからね」「だから、どうしても
    大衆迎合的な視聴率を稼げる番組主体にならざるを得ない」
    「稼げるとなれば、民放全部が同じ方向の番組を組む」
ピー  「だからか~、民放がどれもこれも似たり寄ったりの番組に
    なるのは」「漫才師や下手糞な落語家の司会番組ばかりだね」
パパ 「そうだよん、彼等の芸は、人の揚足を取ってチャカスだけの
    ものだ」「薄っぺらで、芸としての味を全く感じない」
ピー  「言いすぎだよ。そういう番組が面白いと思う人もいるんだから~」
    「めちゃイケとかさー」
パパ 「そうか、そういやー、ピートの兄やんがよく見ているな」
    「ところで、ニュース報道なんかも、その差が歴然としているなぁ」
ピー  「どのように?」
パパ 「例えばね、タレントが覚醒剤所持で捕まるだろう」
    「MHKは、事実だけを簡潔に伝える」「民放は、それをネタに
    下世話な物語を作り上げる」「独自取材とか言ってさ」
    「ショーとして面白可笑しく放送するんだなぁ・・・・ったく」
ピー  「でもそれは、報道の自由じゃないの?」
パパ 「報道の自由とは、客観的事実をありのまま伝えられる権利を言う」
    「社会観や倫理観、正義といったものに裏づけされた行動原理だよ」
ピー  「何でも報道できる権利じゃないんだぁ」
パパ 「視聴率を意識する余り、誇張や推測をあたかも真実のように
    伝えるのは、自由とは言わないね。単なる報道商売だ」
    「報道内容は、勝手な創作や権力からの圧力、大衆迎合であっては
    ならない」「世論誘導もいけないな」
    「こういうことをするから、何人もの報道司会者が物議を醸し出す」
ピー  「ならMHKも怪しくないかい?」
    「MHKは、毎年8月15日が近づくと、戦争番組を多く放送するね」
パパ 「この手の番組内容を見ていると、社会派のプロデューサーが制作
    した感じがする」
ピー  「社会派?、それも民放との違い?」
パパ 「違いと言えば違いだね。民放では、社会派の番組を制作し難い
    だろうね」「社会派は、ある意味で資本と対立関係にあるからね」
    「対立関係とは、イデオロギーを指しているんじゃないよ」
ピー  「社会派番組は、スポンサーが付かない?」
パパ 「民放の場合、付いたとしてもタレントや にわか仕立ての変な
    評論家が出てきて、あーやこーやと、一体何が真実かも分から
    ないまま、ただ喧しいだけの薄っぺらな番組構成で終わる」
ピー  「パパは民放を見ないの?」
パパ 「見ているから問題も分かる。街頭取材も面白いよ」
    「MHKは、普通の人にインタビューする」「民放は、渋谷系の男女に
    インタビューする。これではまともな答えが返ってこない」
ピー  「だけどさ、MHKは、かつての日本の植民地政策を扱った番組で、
    取材協力した台湾の人々から、えらい批判を浴びていたよ~」
パパ 「何故番組編集がそうなったか。それには深~い訳がありますねん」
ピー  「訳とな?」
パパ 「そう、最初から結論ありきなんだ」
ピー  「ほん?」
パパ 「その昔、MHKは、戦争遂行のため軍部に協力させられた苦い経験
    がある」
    「大本営陸海軍部発表とか、はたまた東京ローズだとかさ、等々」
ピー  「はは~ん、それでだね」
パパ 「MHKには、そのときの反省というものが、潜在意識として存在する
    と、パパは見ているんだ」
ピー  「だ・か・ら、この種の番組編集が社会的・批判的になるのか~」
    「それが潜在意識によるものだと?」
パパ 「そう、この種の番組は、日本の植民地主義は悪だという前提の基に
    制作されている。それは、MHKの中にある反省という潜在意識が
    そうさせると、ワシャ~ 考えちょるのよ」
ピー  「ふ~ん、そうかい」
パパ 「それが放送する番組の狙いであり、その方針に沿って進行・展開
    される」「しかし、これでは社会派のつもりが逆に偏った表現になるね」
ピー  「結論を肯定するための番組展開かぁ」
パパ 「MHKは、植民地政策の被害者である筈の人々の中に、そう思わない
    人々もいるという矛盾を解決できないまま放送したんだ」
ピー  「それが、取材した台湾の人々の想いと、番組との間に生じた
    矛盾かぁ」
    「だから、日本の植民地政策を肯定した人々の意見を削除
    したんだな~」「これは、独自検閲だぁぁぁ・・・」
パパ 「パパは、植民地主義には絶対反対だけど、制作側の主張のみでは
    いけない」「でき得る限りの意見や情報を取りいれ、結果的に植民地
    主義は、総じて非常に大きな問題を残したと表現すべきだろうね」
ピー  「植民地主義の善悪判断を視聴者に任すんだね」「ややこしいの~」
パパ 「制作側は、情報提供をするだけでいい」
    「しかし、情報の偏りはいけないし、事実を如何に客観的に伝える
    かだ」「判官びいきという庶民世相の反映もいけない。これは娯楽
    番組だけでいい」
ピー  「それら迎合的・主観的な部分を如何に排除して放送できるかだね」
    「難しいね~」
パパ 「簡単に言えば、制作者の考えを伝えるのではなく、事実だけを
    放送すればいい」「評論家を入れるなら、両極の人が必要だね」
ピー  「視聴者が、自ら判断できる番組構成にすれば良いんだね」
パパ 「娯楽番組以外はね」
ピー  「ほんほん」
パパ 「放送の中立性というか、視聴率の支配から如何に独立性を保てる
    かだ」「大袈裟に言えば、権力の支配からね」
    「マスコミは、そいうものと戦ってこそ、報道の自由を声高に
    叫べるのさ」
ピー  「そうか、アウンサン・スーチー女史なんか、その鏡だね」
    「報道というのは、司法の独立性にどこか似ているね」
パパ 「次回、司法の独立について話すかい?」
ピー  「暑いから楽しい話題にしてよ」