パパ 「んじゃー、ジャズピアノの話題にいきませう」
ピー 「ジャズピアニストは、とても沢山いるようだね」
「でも、単にピアノでジャズを弾くだけでしょうがー」
パパ 「そうね、色んな流派があるらしいけど、パパはよく知らないな~」
ピー 「何時頃から聴きだしたん?」
パパ 「いっちゃん最初にジャズピアノのレコードを買ったのが、
1969年のオスカー・ピーターソン・トリオじゃった」
ピー 「何故またピーターソンなん?」
パパ 「単にレコード屋で目に留まっただけだよ」「当時、ジャズちゅー
音楽は殆ど知らなかった」「で、一度は聴いてみようと思ったのさ」
ピー 「なんか、面白くない展開だねー」
パパ 「で、30年ほど間を置いて、またここ数年ジャズを聴き出したけど、
ジャズピアニストには、二通りあると感じるようになった」
ピー 「う~ん? でもジャズはジャズだろう?」
パパ 「うまく説明できないんだけど、二通りに聴こえるんだな~」
ピー 「二通り、・・に聴こえる?」
パパ 「主なところでは、第一グループとして、ウィントン・ケリー、
トミー・フラナガン、セロニアス・モンク、ビル・エバンスかな」
「第二グループは、オスカー・ピーターソン、キース・ジャレット、
ケニー・ドリュー、ハービー・ハンコック、チック・コリア」
「他にもまだまだ有名なプレイヤーがいる」
ピー 「分類条件が分からんけど、独断と偏見の気がする」
「で、何がどうなん?」
パパ 「第一グループは、元からジャズの演奏家として出てきたグループ」
「第二グループは、クラシックの教育を受けて育ったグループ」
ピー 「そういう分類かぁ」
パパ 「ここに演奏形態の差を読み取った、と言うと大袈裟かな」
ピー 「いやいや~、パパ特有の冗談に近いと思っておこう」
パパ 「大御所バド・パウエルは、この中間かな」「彼は、Be Bopの
創始者の一人だと思うけど、彼の演奏はラリってるから、
よく分からん」
ピー 「ラリルね~」
「薬物中毒で、'らりるれろ' が巧く発音できない状態だな」
パパ 「そんで、直感で聴いた感じを話すけど、独断と偏見じゃけんね」
「あまり信用しないほうがエエ、ハハハ」
ピー 「はいな!」
パパ 「先ず、第一のグループは、鍵盤上のある単音から次の単音へ指を
移動する時、何となく音の揺らぎを感じる」
「第二グループでは、この揺らぎを感じないし、非常に安定した
音程として聴こえる。あくまで聴感上だよ」
ピー 「ほんまかいな?」「同じ調律だろう?」
パパ 「パパには、そう聴こえるんだ」
「例えば、演歌歌手の音程は揺るがない。従って、非常に巧く聴こ
える」「これは、専門家に音程の訓練を受けているからだと思う」
ピー 「なるほど、演歌歌手は、皆さん歌が巧いね」
パパ 「ロックやポップスの歌手に、歌が巧い人をあまり見掛けない」
「これは、音程に揺らぎがあるからだ」「ブレルんだな」
「じゃけん、派手なパフォーマンス主体にならざるを得ない」
「だけど、面白い人も多い」
ピー 「はは、泉谷しげる じゃん」
「ほと、第一グループは下手糞なん?」
パパ 「それが、そうじゃないんだな~」
「別にヒイキする訳じゃないけど、この音の揺らぎ感に、
アメリカの泥臭さを感じる」
「それが旋律を構成して、ジャズになる。そこがシブイ」
ピー 「それは~、な~んとなく、勝手な解釈だな」
パパ 「例えば、ウィントン・ケリーの演奏は、音をコロコロと転がす
ような感じだ」「レッド・ガーランドも同じような特徴を持つ」
「このコロコロにジャズっぽさを感じるんだなぁ」
ピー 「モーツァルトのように装飾音を多用するんだね」
パパ 「でも、モーツァルトのような華麗さはない」「あくまでジャズだ」
「セロニアス・モンクは、ハイミナールでラリってる感じに
聴こえるしぃ~」
「白人ビル・エバンスは、黒人の持つ解放感が無い。非常に詩的な
表現をする。マイルスのトランペットに似てもいるな」
ピー 「褒めてるのか、貶してるのか・・・?」
パパ 「第二グループのハービー・ハンコックやチック・コリアは、
フュージジョンというか、もうワールドミュージックの範疇だと
思うね」
「元々アメリカのジャズが持っていた解放感とか自由の爆発とか、
そういうエネルギーを感じさせない非常に平坦な印象を受ける」
ピー 「それは、ジャズの歴史観ちゅーか、社会的な捉え方だね~」
「聴く・楽しむ、という概念じゃーない」
「チック・コリアは、ジュリアード音楽院出身だろ~」
パパ 「おぉ~、よく知っているね」
「キース・ジャレットは、クラシックの演奏もするよ」
「でもなにか、冷たさを感じるんだな~」
ピー 「パパ流だと、解放感・自由の爆発の欠如だね」
パパ 「スィング感の欠如、だと言うと、また叱られるな」
「キースはさ、演奏の途中で客席から音が聴こえると、ノイジ~、
と言って演奏を中断するんだ」
「パパは、これをキースの演出だと思っている」
ピー 「ジャズだろう、元々喧騒の中で演奏するんじゃないの~」
パパ 「そう、キースのライブは、まるでクラシックの演奏会のようだ」
「ジャズの精神を感じないんだなぁ」
「オペラ歌手が、反戦フォークを歌っているような感じだ」
ピー 「ふーん」
パパ 「千葉にさ、キースの追っかけをしている中年女性がいる」
「キースが日本へ来ると、神戸、大阪、東京と演奏会場を
追っかけて回るんだ」「以前、オーディオルームの防音のことで
この人と話したけど、キースの話になると、そらもう・・大変さ」
「ここのオーナーだよ↓」
http://members.at.infoseek.co.jp/jazz_candy/
「この中のOWNER'S ROOMが面白いんだ。読むのに相当な覚悟が
「この中のOWNER'S ROOMが面白いんだ。読むのに相当な覚悟が
いりまっせ。ほんに自由闊達な人だこと」
ピー 「へ~、キース 命 だね」
パパ 「ケニー・ドリューも泥臭さが欠如しているなぁ」
「ヨーロッパ的な洗練さを感じる。非常に都会的なセンスだ」
ピー 「オスカー・ピーターソンは?」
パパ 「彼ほど安定した演奏はないね。それも高速演奏でだ」
「これは、クラシックの奏法だね」「音に全く揺らぎが無いし、
一音一音の音階が明確に分かる」
ピー 「鍵盤のタッチに誤魔化しが無いんだ」
「でもさ、揺らぎが無いって何よ?」
パパ 「音楽は、音の高低、強弱、音間のピッチ、それらがメロディ・
ハーモニー・リズムを伴って、曲の雰囲気を決定付けて
いると思うけど、その音に無駄が無いと感じることかな」
ピー 「無駄があると揺らぎを感じるんだね」
パパ 「ピーターソンの場合、指力の強弱や間の取り方が実に巧く、
音のピッチに余分な時間を全く感じさせない」
「つまり、揺らぎが無い」
ピー 「ほう~、彼は、カーネギーホールで演奏できるはずだね」
パパ 「そ、他に類を見ないモダンさを感じる」
「しか~し、モダンではあるけれども、ジャズの本質から
考察すると、ジャズが持つ本来の精神性が希薄だ」
「従って、プロの中には、あまり評価しない人もいるそうな」
ピー 「な~るほどね。パパがグループ分けしたのは、そういう意味か」
「大別すると、第二グループは、モダンになった分、ジャズの
精神というか、泥臭さが希薄になったんだねぇ」
パパ 「その第二グループが、たまたまクラシック教育を受けていた、
というだけだ」
ピー 「こういう考察をした切っ掛けは?」
パパ 「数年前、ジャズを聴きだした頃、な~んか異なる印象を
受けたんだ」「これは一体なんだろうって考えたのさ」
ピー 「で、よく似たグループを抽出していったという訳?」
パパ 「そうすると、自然と二派にグループ分けが出来たのさ」
ピー 「まるでDNAの塩基配列の分析だね」
「でもそれは、芸術性とか音楽性とかじゃなく、分類法であって、
音楽とは相容れない価値観だと思うけどね~」
パパ 「逆にピートのそれは、分類学的考察だね」「単に技術的な
分析手法を評価しているに過ぎない」
ピー 「またそういう訳の分からんことを言う」
パパ 「楽譜を見てみよう」「楽譜は、人間の感情を音符という記号論理
で表した人類史上最も賞賛すべき発明だ」
ピー 「個人の感情という非論理的なものを、楽譜という理路整然とした
客観的論理体系に置き換えるのか・・・」
パパ 「その音符でもって、全ての西洋音楽が構成されており、それを
演奏する奏者の分類は、芸術的分類そのものだよ~ん」
ピー 「なんのこっちゃ」
「でも、感情としての喜怒哀楽を、音符で表現する凄さは認めよう」
パパ 「へー、おおきに」
「ま、好みにもよるけど、演奏の巧みさよりもアメリカの泥臭さを
堪能したいなら、第一グループかなぁ」
ピー 「第二グループは、モダンでスマートなジャズだね」
パパ 「この違いは、同じ曲を各グループの演奏で聴くと良く分かる」
「しかし、こういう区分けは、頭の中で考えながら聴くジャズ、
という感じがしないでもない」
ピー 「そうだよ、理屈で考えるんじゃなく、純粋にジャズを堪能すべ
きだと思うよ~」「さっきも言ったけど、ジャズを社会現象として
捉えるから、そういう区分けが必要になってくるんだよ」
パパ 「う~ん・・、ピートの方が素直な感覚だなん~・・・」