2009年5月24日日曜日

ピートとパパの会話(その58 ジャズピアノ)


パパ 「んじゃー、ジャズピアノの話題にいきませう」
ピー  「ジャズピアニストは、とても沢山いるようだね」
    「でも、単にピアノでジャズを弾くだけでしょうがー」
パパ 「そうね、色んな流派があるらしいけど、パパはよく知らないな~」
ピー  「何時頃から聴きだしたん?」
パパ 「いっちゃん最初にジャズピアノのレコードを買ったのが、
    1969年のオスカー・ピーターソン・トリオじゃった」
ピー  「何故またピーターソンなん?」
パパ 「単にレコード屋で目に留まっただけだよ」「当時、ジャズちゅー
    音楽は殆ど知らなかった」「で、一度は聴いてみようと思ったのさ」
ピー  「なんか、面白くない展開だねー」
パパ 「で、30年ほど間を置いて、またここ数年ジャズを聴き出したけど、
    ジャズピアニストには、二通りあると感じるようになった」
ピー  「う~ん? でもジャズはジャズだろう?」
パパ 「うまく説明できないんだけど、二通りに聴こえるんだな~」
ピー  「二通り、・・に聴こえる?」
パパ 「主なところでは、第一グループとして、ウィントン・ケリー、
    トミー・フラナガン、セロニアス・モンク、ビル・エバンスかな」
    「第二グループは、オスカー・ピーターソン、キース・ジャレット、
    ケニー・ドリュー、ハービー・ハンコック、チック・コリア」
    「他にもまだまだ有名なプレイヤーがいる」
ピー  「分類条件が分からんけど、独断と偏見の気がする」
    「で、何がどうなん?」
パパ 「第一グループは、元からジャズの演奏家として出てきたグループ」
    「第二グループは、クラシックの教育を受けて育ったグループ」
ピー  「そういう分類かぁ」
パパ 「ここに演奏形態の差を読み取った、と言うと大袈裟かな」
ピー  「いやいや~、パパ特有の冗談に近いと思っておこう」
パパ 「大御所バド・パウエルは、この中間かな」「彼は、Be Bopの
    創始者の一人だと思うけど、彼の演奏はラリってるから、
    よく分からん」
ピー  「ラリルね~」
    「薬物中毒で、'らりるれろ' が巧く発音できない状態だな」
パパ 「そんで、直感で聴いた感じを話すけど、独断と偏見じゃけんね」
    「あまり信用しないほうがエエ、ハハハ」
ピー  「はいな!」
パパ 「先ず、第一のグループは、鍵盤上のある単音から次の単音へ指を
    移動する時、何となく音の揺らぎを感じる」
    「第二グループでは、この揺らぎを感じないし、非常に安定した
    音程として聴こえる。あくまで聴感上だよ」
ピー  「ほんまかいな?」「同じ調律だろう?」
パパ 「パパには、そう聴こえるんだ」
    「例えば、演歌歌手の音程は揺るがない。従って、非常に巧く聴こ
    える」「これは、専門家に音程の訓練を受けているからだと思う」
ピー  「なるほど、演歌歌手は、皆さん歌が巧いね」
パパ 「ロックやポップスの歌手に、歌が巧い人をあまり見掛けない」
    「これは、音程に揺らぎがあるからだ」「ブレルんだな」
    「じゃけん、派手なパフォーマンス主体にならざるを得ない」
    「だけど、面白い人も多い」
ピー  「はは、泉谷しげる じゃん」
    「ほと、第一グループは下手糞なん?」
パパ 「それが、そうじゃないんだな~」
    「別にヒイキする訳じゃないけど、この音の揺らぎ感に、
    アメリカの泥臭さを感じる」
    「それが旋律を構成して、ジャズになる。そこがシブイ」
ピー  「それは~、な~んとなく、勝手な解釈だな」
パパ 「例えば、ウィントン・ケリーの演奏は、音をコロコロと転がす
    ような感じだ」「レッド・ガーランドも同じような特徴を持つ」
    「このコロコロにジャズっぽさを感じるんだなぁ」
ピー  「モーツァルトのように装飾音を多用するんだね」
パパ 「でも、モーツァルトのような華麗さはない」「あくまでジャズだ」
    「セロニアス・モンクは、ハイミナールでラリってる感じに
    聴こえるしぃ~」
    「白人ビル・エバンスは、黒人の持つ解放感が無い。非常に詩的な
    表現をする。マイルスのトランペットに似てもいるな」
ピー  「褒めてるのか、貶してるのか・・・?」
パパ 「第二グループのハービー・ハンコックやチック・コリアは、
    フュージジョンというか、もうワールドミュージックの範疇だと
    思うね」
    「元々アメリカのジャズが持っていた解放感とか自由の爆発とか、
    そういうエネルギーを感じさせない非常に平坦な印象を受ける」
ピー  「それは、ジャズの歴史観ちゅーか、社会的な捉え方だね~」
    「聴く・楽しむ、という概念じゃーない」
    「チック・コリアは、ジュリアード音楽院出身だろ~」
パパ 「おぉ~、よく知っているね」
    「キース・ジャレットは、クラシックの演奏もするよ」
    「でもなにか、冷たさを感じるんだな~」
ピー  「パパ流だと、解放感・自由の爆発の欠如だね」
パパ 「スィング感の欠如、だと言うと、また叱られるな」
    「キースはさ、演奏の途中で客席から音が聴こえると、ノイジ~、
    と言って演奏を中断するんだ」
    「パパは、これをキースの演出だと思っている」
ピー  「ジャズだろう、元々喧騒の中で演奏するんじゃないの~」
パパ 「そう、キースのライブは、まるでクラシックの演奏会のようだ」
    「ジャズの精神を感じないんだなぁ」
    「オペラ歌手が、反戦フォークを歌っているような感じだ」
ピー  「ふーん」
パパ 「千葉にさ、キースの追っかけをしている中年女性がいる」
    「キースが日本へ来ると、神戸、大阪、東京と演奏会場を
    追っかけて回るんだ」「以前、オーディオルームの防音のことで
    この人と話したけど、キースの話になると、そらもう・・大変さ」
    「ここのオーナーだよ↓」
       http://members.at.infoseek.co.jp/jazz_candy/
    「この中のOWNER'S ROOMが面白いんだ。読むのに相当な覚悟が
    いりまっせ。ほんに自由闊達な人だこと」 
ピー  「へ~、キース 命 だね」
パパ 「ケニー・ドリューも泥臭さが欠如しているなぁ」
    「ヨーロッパ的な洗練さを感じる。非常に都会的なセンスだ」
ピー  「オスカー・ピーターソンは?」
パパ 「彼ほど安定した演奏はないね。それも高速演奏でだ」
    「これは、クラシックの奏法だね」「音に全く揺らぎが無いし、
    一音一音の音階が明確に分かる」
ピー  「鍵盤のタッチに誤魔化しが無いんだ」
    「でもさ、揺らぎが無いって何よ?」
パパ 「音楽は、音の高低、強弱、音間のピッチ、それらがメロディ・
    ハーモニー・リズムを伴って、曲の雰囲気を決定付けて
    いると思うけど、その音に無駄が無いと感じることかな」
ピー  「無駄があると揺らぎを感じるんだね」
パパ 「ピーターソンの場合、指力の強弱や間の取り方が実に巧く、
    音のピッチに余分な時間を全く感じさせない」
    「つまり、揺らぎが無い」
ピー  「ほう~、彼は、カーネギーホールで演奏できるはずだね」
パパ 「そ、他に類を見ないモダンさを感じる」
    「しか~し、モダンではあるけれども、ジャズの本質から
    考察すると、ジャズが持つ本来の精神性が希薄だ」
    「従って、プロの中には、あまり評価しない人もいるそうな」
ピー  「な~るほどね。パパがグループ分けしたのは、そういう意味か」
    「大別すると、第二グループは、モダンになった分、ジャズの
    精神というか、泥臭さが希薄になったんだねぇ」
パパ 「その第二グループが、たまたまクラシック教育を受けていた、
    というだけだ」
ピー  「こういう考察をした切っ掛けは?」
パパ 「数年前、ジャズを聴きだした頃、な~んか異なる印象を
    受けたんだ」「これは一体なんだろうって考えたのさ」
ピー  「で、よく似たグループを抽出していったという訳?」
パパ 「そうすると、自然と二派にグループ分けが出来たのさ」
ピー  「まるでDNAの塩基配列の分析だね」
    「でもそれは、芸術性とか音楽性とかじゃなく、分類法であって、
    音楽とは相容れない価値観だと思うけどね~」
パパ 「逆にピートのそれは、分類学的考察だね」「単に技術的な
    分析手法を評価しているに過ぎない」
ピー  「またそういう訳の分からんことを言う」
パパ 「楽譜を見てみよう」「楽譜は、人間の感情を音符という記号論理
    で表した人類史上最も賞賛すべき発明だ」
ピー  「個人の感情という非論理的なものを、楽譜という理路整然とした
    客観的論理体系に置き換えるのか・・・」
パパ 「その音符でもって、全ての西洋音楽が構成されており、それを
    演奏する奏者の分類は、芸術的分類そのものだよ~ん」
ピー  「なんのこっちゃ」
    「でも、感情としての喜怒哀楽を、音符で表現する凄さは認めよう」
パパ 「へー、おおきに」
    「ま、好みにもよるけど、演奏の巧みさよりもアメリカの泥臭さを
    堪能したいなら、第一グループかなぁ」
ピー  「第二グループは、モダンでスマートなジャズだね」
パパ 「この違いは、同じ曲を各グループの演奏で聴くと良く分かる」
    「しかし、こういう区分けは、頭の中で考えながら聴くジャズ、
    という感じがしないでもない」
ピー  「そうだよ、理屈で考えるんじゃなく、純粋にジャズを堪能すべ
    きだと思うよ~」「さっきも言ったけど、ジャズを社会現象として
    捉えるから、そういう区分けが必要になってくるんだよ」
パパ 「う~ん・・、ピートの方が素直な感覚だなん~・・・」

2009年5月23日土曜日

こちらの世話も・・


おいらもバラも、水が美味しい季節。
そして、おいらもバラも、いやーな害虫の予防が欠かせない季節。

2009年5月20日水曜日

ピートとパパの会話(その57 ソナタ形式?)


パパ 「リー・モーガンのデザート・ムーンライトはどうだった?」
ピー  「月の砂漠ね~、最初にチョチョっと月の砂漠のフレーズを
    やって、その後は訳が分からん」
パパ 「聴衆は、最初のチョチョの部分で、あぁ~'月の砂漠'か、と知る」
ピー  「それは、おいらにも分かるんだけど、その後が分からんぞえ~」
パパ 「実は、その後の分からん部分にジャズの真骨頂がある」
ピー  「そういうことを言うから、ジャズは大衆受けしないんだよ」
パパ 「アメリカの大衆には受ける」「何故受けるかは、最初の頃に
    話したよね」
ピー  「自由の表現だろ」
パパ 「おー、覚えちょるな」「以前ピートが、ジャズはソナタ形式に
    似ちょると言ったじゃん」
ピー  「あ~、それも覚えちょる」
    「リー・あんちゃんの月の砂漠は、ソナタ形式?」
パパ 「こじつければ、そういうこと」「最初のチョチョは提示部で、
    簡単にメロディラインを奏でている」
ピー  「その提示部に第一主題と第二主題があるんだね」
パパ 「ジャズでは、そんな厳格な定義はないよ」
    「原曲が何であるかを聴衆に分かって貰うために奏でるだけだ」
ピー  「ふ~ん」
パパ 「本来ソナタ形式は、第一主題と第二主題が異なる調で構成され
    ているが、ここではソナタ形式のようなものとして考えれば良い」
    「要は分かり易いように、こじつけの話をしとるんじゃからね」
ピー  「すると、その後の分からん部分が、ソナタ形式の展開部に相当
    するんだね」
パパ 「そのとおりだす」「ここからがBopの始まりだ」
    「展開部では、リーのラッパ、ジョー・ヘンダーソンのサックス、
    ロニー・マシューズのピアノへと続く」
ピー  「この部分が ’自由’の表現なんだねぇ」
パパ 「んだんだ、これが即興演奏なのかアドリブなのかは、
    この部分の 楽譜が最初の演奏時に有るか無いかだ」
ピー  「どれくらいサバ読んで演奏しているんだろうね?」
パパ 「この分からん部分は、独奏協奏曲のカデンツァに相当する」
ピー  「何よそれ?」
パパ 「クラシックにおける独奏楽器の自由な即興演奏を指す」
ピー  「ええ? クラシックでも即興演奏ってあるの?」
パパ 「古典派のベートーヴェンやロマン派の作曲家なんかも
    よく取り入れた技法だよ」
    「この部分は楽譜が無く、空白になっている場合もある」
ピー  「お任せなんだ」
    「ジャズで行う技法って、昔からあったんだね」
パパ 「但し、この即興演奏ちゅーのは、物凄く難しい」
ピー  「難しい? 適当に自分勝手な演奏をすりゃいいんじゃないの?」
パパ 「即興演奏やアドリブは、聴衆との交流で成立つ」
    「特にジャズはね」
    「やりすぎると演奏が聴衆と乖離するし、原曲のメロディを
    意識しすぎると、面白くなくなる」
ピー  「所謂ライブにおける ’ノリ’のようなものだね」
パパ 「そういうこと」
    「で、乖離しすぎたのが、フリージャズのオーネット・コールマン
    やアルバート・アイラーだ」「自分勝手で訳分からん」
ピー  「おいらは、もっとわーらん」
パパ 「リー・モーガンが、この空白部分をメンバーとどれ位打ち合わせ
    したのかが知りたいなぁ」「いきなり即興に入ったなら、
    凄いぜぃ」
ピー  「そういうことが分かってくると、ジャズも面白く聴けるなぁ」
パパ 「そうだろ~。この月の砂漠では、三人が独奏パートを受持つけれど、
    独奏のバックで通奏低音が響いている」
    「これは、バロックの技法で、和音を伴った伴奏だ」
ピー  「昔の色々な技法を取り入れているんだね」
パパ 「たまたまそうなったと考える方が自然だ」
    「ジャズの発祥から考えて、そんな高級な楽典が最初からあった
    とは考えにくい」
ピー  「な~るほど」
パパ 「で、この通奏低音が奏でる和音が、独奏楽器の演奏を引き立た
    せているんだ」
ピー  「よくわからん」
パパ 「通奏低音は、ピアノを始めとして、和音を奏でられる楽器が受持つ」
ピー  「ジャズでいうコードだね」
    「ちゅーことは、通奏低音を受持つピアノも、リー・モーガンの
    即興演奏に追従して、即興を求められるということかいな」
パパ 「Yes. ピアノだけじゃなく、ベースとかもね」
    「そこにドラムが一定のリズムを刻んでアンサンブルを構成する」
    「すると、楽曲の高級感が醸し出されるという寸法だ」
ピー  「ん? 通奏低音を奏でるのは、ピアノだと言ったよね?」
    「じゃ、ピアノが独奏楽器となる場合は?」
パパ 「ヘヘ、その場合は、左手がその代わりをする」
ピー  「そうか、ピアノは両手で弾くから便利だね~」
パパ 「それじゃもう一度、独奏楽器のバックの伴奏をよく聴いてみよう」

ピー 「なーるほど。そして、再現部に入るんだね」
パパ 「ここで、提示部のメロディが再び演奏される」
ピー  「聴衆は、この再現部で、この曲が'月の砂漠'だったことを
    思い出すんだー」
パパ 「そう。本来のソナタ形式は、再現部で第一・第二主題の調を
    統一する」
ピー  「再現部が無いと尻切れトンボだね」
パパ 「数学でいう発散だ。状況が収束しないんだ」
ピー  「どこで楽曲を終えればいいか、分からなくなるね」
パパ 「ソナタ形式では、再現部が最も重要だと思うよ」
ピー  「と言うことはさ、この形式をとれば、どんな曲でもジャズ化
    できるね」
パパ 「ジャズって、面白いだろう~」
    「で、展開部で自分の想う曲風で演奏すれば楽しくなる」
ピー  「ほうほう、楽譜に支配されないところが良いね」
    「正に自由だ」
パパ 「おー、ピートも分かってきたねぇ」
ピー  「しかしまあ、こじつけにしろ、色んなことをよく考えるね」
    「大抵の人は、レコードやCDのライナーノート(解説)に書いて
    あることをそのまま言っているだけで、自分の意見が無いね」
パパ 「自分で聴いて自分で考察することが面白いんだなー」
    「それに、ライナーノートの下手な文学的表現は、どうもねぇ・・・」
パパ 「次回は、ジャズピアノについて語ろう」
    「ピアノにおけるオーディオの問題点なんかも含めてね」
ピー  「楽しそうだね」

君は、誰だ?


今朝も、瀬田川沿いで出会う。 
クンクンしても、突っついても、ビクともしない。
  (じっと我慢してくれるカメさんに、ペコリ・・・  です。)

2009年5月17日日曜日

今年も・・

オールドローズから始まって、次々に咲き始めます。
『カフェ』・・・    ミルクコーヒー。
『マダムアルディ』・・・   究極の白。
花には、やっぱりチョウチョ!  ・・・かな?

2009年5月16日土曜日

ピートとパパの会話(その56 月の砂漠)


パパ 「暫く暗い話題が多かったから、今回はオーディオ談義だよ」
ピー  「上の写真は何かね?」
パパ 「35年前に、機材を集めて組立てたレコードプレーヤーだよ」
    「昨日、20年ぶりに整備したんだ」
ピー  「周囲に変なギザギザが見えるね」
パパ 「回転するとストロボによって、このギザギザが静止して
    見えるんだ」「その動きでレコードの回転数を正しく調整する」
ピー  「ほう、面白いデザインだね」
パパ 「英国のガラード社の製品だよ。401といって、当時のジャズ喫茶
    の定番ターンテーブルじゃった」「京都の老舗のジャズ喫茶
    ヤマトヤで、今でも使っているんじゃないかな」
ピー  「ガラードって?」
パパ 「英国BBCに放送機材を納入している音響機器メーカーだよ」
    「1970年当時、このデザインはガラードしか無かった」
    「その後、パイオニアが最初に真似をしたよ」「真似だから
    不細工なデザインじゃった」
ピー  「そんな古いターンテーブルが動くの?」
パパ 「何の問題も無い。そういう設計がされているんだ」
    「ガラードは、局仕様だからね」
    「今やプレミアが付いて、購入価格の数倍の値で取引されている」
ピー  「右のパイプは何よ?」
パパ 「トーンアームといって、レコードの音を拾うカートリッジを
    取り付ける装置だよ」「これは、日本のマイクロ精機製だ」
    「でも、日本製はね~・・」
ピー  「駄目なの」
パパ 「そうではないけど、英国のSME製と比較すると、加工精度が
    何ともね・・・。英国製は芸術品だよ。パパも2本使っている」
ピー  「レコードプレーヤーを何台持っているの?」
パパ 「う~ん、5台かな」「うち1台は、組立てずに置いてある」
ピー  「1台あれば、充分じゃんか」
パパ 「そこが趣味だ。調整も難しいんだぞ~」「ある友人は、SMEの
    トーンアーム調整に一晩かかったと言っていた」
ピー  「音を拾うカートリッジは?」
パパ 「写真は、グレース製でF-8Cというものだよ。これも35年以上前の
    ものだ。こやつも日本製で、あまりよろしくない」
ピー  「よろしくないって?」
パパ 「素人的に表現すれば、派手さが無いということかな」
ピー  「レコードを聴くだけなのに、大袈裟な装置だね」
パパ 「通常は、簡単に扱えるナショナルのフルオートプレーヤーを
    使っている」「こちらの方が、派手な音作りがされていて
    素人受けがする」「他に局用や米国製のカートリッジも使って
    いるけど、各々特徴がある」「その僅かな差を楽しむんだ」
ピー  「パパは、CD派じゃなかった?」
パパ 「そらもう、物理特性は、CDが遥かに優れている」
    「そういうことが分かって聴いているんだよ~ん」
    「レコードは、何と言ってもヴィンテージだからね」
    「それなりの味わいがあるというものじゃよ。ハハハ」
ピー  「パパは、再生装置の仕掛けそのものに興味があるんだね」
    「写真に写っているレコードは?」
パパ 「米国のBLUE NOTEと呼ばれるジャズレーベルだよ」
    「ウェストレックスのカッティングマシンで製作されている」
ピー  「それ何よ?」
パパ 「世界のレコードカッティングマシンは、ノイマン、ウェストレックス、
    スカリーが3大ブランドだ」
    「BLUE NOTEは、ウェストレックスということで売出している」
ピー  「音が良いの?」
パパ 「音が良いかどうか、パパには分からない」
    「オーディオフリークの中には、トーンアームをウェストレックス用に
    調整し直して聴くという人もいる」
ピー  「面倒だね」
パパ 「ひとつ、レコード選びの極意を伝授しようか」
    「レコードは、キング製を選ぼう」
ピー  「キング?」
パパ 「そうだじょー。キングは、音質が良いとされている」
    「実際に、ある電気音響専門店で聴いたが、良い音がしていたね」
    「これは、カリスマ店員に教えて貰ったんだ」
    「ま、堂島ロールのようなものだ」
ピー  「ほほう、レコードと言っても色々難しいんだね」
パパ 「オリジナル盤は音が良いとか、180グラムの重量盤が良いとか、
    そういう話がごまんとあるよ」
    「で、オリジナル盤、要するに初回プレス盤なんだけど、初回
    だから音が良いだろうと、三千円のLPに何十万円ものプレミア
    が付く恐ろしい世界だったりする」「ここでも悪徳商人が暗躍
    するんだなぁ」
ピー  「写真のレコードは何という曲?」
パパ 「リー・モーガンのザ・ランプローラーの中に入っている
    デザート・ムーンライトという曲を聴いちょる」
ピー  「デザート・ムーンライト、’月の砂漠 ’ だね」
パパ 「そう、月の砂漠。日本の童謡だ」
    「リー・モーガンは、日本にもこんな素晴らしい曲があるのか、
    といって感心したらしいんだが・・」
ピー  「何か問題でも」
パパ 「本国で自分が作曲したように言いふらしたらしい」
    「70年頃のFM放送で、日本のDJが愚痴っていた」
    「その時の放送内容を覚えていたから、このリー・モーガンの
    デザート・ムーンライトを買ったのさ」
    「それでは、リー・モーガンの デザート・ムーンライト を聴いてみよう」

パパ 「リー・モーガンは、女性好きが災いして数奇な運命を辿る」
    「調べてみると面白いよ」
ピー  「大体パパは、どこでレコードを買っているのさ?」
パパ 「東京では、現在でも新譜のレコードが沢山発売されているし、
    中古レコード店も山ほどあった」
    「ここ大津市は、そのような文化に程遠い生活環境だ」
ピー  「そりゃ、困った環境だね」「田舎の生活は、三日で飽きると
    言っていたね」
パパ 「んだ、でも大津のパルコで中古レコード展を6月初めまでやって
    いるよ」「この前、中古レコード屋から通知が来た」
ピー  「何故そんな通知が来るの」
パパ 「登録してあるからさ」
    「パルコ4階で、ジャズ、フュージョン、レゲエ、ロック、
    クラシック、演歌、オールディズ、JPOPなどの中古レコードと
    CDを販売しているよ」「地方向けの巡回図書館のようなものだ」
ピー  「そうか、巡回か。店を出すほどの需要がないんだね」
    「やはり田舎だ」
パパ 「見に行けば、青春時代に聴いたレコードが見つかるかもね」
ピー  「よし!」

ピートとパパの会話(その55 成果主義の問題点?)


ピー  「上の写真は?」
パパ 「昔のレコジャケだ。今回の話とは何の関係もな~い」
    「さてさて流行の先端、成果主義の話だよん」
ピー  「パパもやってきたの?」
パパ 「そらもう、十何年間その真っ只中にいた」
    「成果主義を取り入れたのは、日本でも一番早かったかな」
ピー  「ほう、体験者なんだ」「で、どうだったの?」
パパ 「導入当初は、週刊誌とかで絶賛されたね」
ピー  「凄いじゃん」
パパ 「しかし、そうでもないんだなぁ」
    「導入前に研修を受けたんだが、本質は人件費削減の何ものでも
    無いと感じたね」
ピー  「ん? どういうことよ」
パパ 「企業は、バブルが弾けて人件費の抑制に躍起になっていたんだ」
    「それで目標を掲げて、その達成度に応じて報酬を決めようとした」
    「要は下を切って上に上乗せする」「真ん中の成績でも減額し、
    全体の人件費の圧縮を図ったんだ」
ピー  「理に適っているじゃん」「何か問題でも」
パパ 「問題は、目標設定の仕方だね」
    「最初の何回かは、皆さん高い目標を設定していた」
    「じゃが、達成しなければ給料が下るしぃ」「そのうち達成
    出来ると分かっている目標しか立てなくなった」
ピー  「最初から達成できる目標を設定するんだぁ。ズルイ」
    「するとさ、全員が同じ成績ちゅーことになるなぁ。変なの」
パパ 「それで、目標設定時にチャレンジ度とか難易度とかの項目を
    追加し、それを数値で示すようになった」
    「だけどさ、目標設定してもトラブル対応ばかりで成果が出せない
    社員もいる」「配置転換で業績が出せない場合もある」
    「また、ルーチンワークしかやらない部門は、目標設定が
    大変難しい」
ピー  「なるほど、個人によって仕事内容が異なるんだね」
    「目標設定の期間は?」
パパ 「当初は半期(半年)だったが、無理だと分かってきたので、
    全部門とも通期(年度)で設定しても良いということになった」
ピー  「なるほど」
パパ 「でもね、基礎研究なんかやっている連中は、そんな短期間での
    目標達成なんか無理だよ」「研究所なんか一体どうするんだい」
    「しかも目標値は、皆さん人事考課上意識的に低く設定するし~」
ピー  「難題が難題を呼ぶんだ」
パパ 「そこで、達成までの過程を考慮に入れようということになった」
ピー  「過程の評価?、どういう基準で評価をするのかな~?」
    「大体さ、成果主義ってどれくらいの差がつくの?」
パパ 「営業管理職の場合、年収で数百万円に達する」
ピー  「え~! そら小細工もしだすし、悪さをする奴も出てくるな~」
パパ 「北米や首都圏などの営業と東北・九州などの地方営業では
    物凄い地域差が出るし、金額で評価される営業は堪らない」
    「そうこうしているうちに、1700億円近い赤字が出たね」
ピー  「ええ! 倒産するじゃん」
パパ 「平時ならこれくらいの赤字は何でもないよ」
    「それより問題は、社員にチャレンジ精神が無くなったことだね」
ピー  「それって、成果主義を取り入れたから?」
パパ 「ま、大きな原因の一つだろうね」
ピー  「何とかしなきゃ」
パパ 「目的が人件費削減だから、何ともならないね」
    「しかも、思っても見なかった弊害が出てきた」
ピー  「弊害?」
パパ 「個人的に銭が絡むから、他人が困っていても誰も助けなく
    なった」「次第に連帯感も無くなったね」
    「そこで人事は、チームでの評価も考慮すると言い出した」
ピー  「おかしい? 成績を一番知っているのは現場の管理職じゃない」
    「それに、人事は全部門の評価が出来るほど物事を知っていると
    は思えないな」「なのに人事で評価するの?」
パパ 「気が付いたかね~。そう、最終評価を人事でやるんだ」
    「ってことはね、総人件費が決まっていて、それに見合うように
    人事で成績を調整するんだ」
ピー  「それは改ざんだ」「一体何の為の成果主義なん?」
    「結局、建前だけじゃん。日本の企業は駄目だね~」
パパ 「社員は、皆それを知っているから真剣にやらなくなった」
    「口の悪い連中は、人事の奴らの成績を上げるために、ワシらが
    犠牲になっていると言っていたな」
ピー  「人事って何よ?」
パパ 「人事は、人を育てるのが仕事だ。しかし、今は人を排除する
    ことが仕事になった」
ピー  「おいらは、そんな部門にいたくないな」
パパ 「それに現場の管理職は、目標設定と成果の評価をするために、
    部下の個人面接を毎回しないと駄目なんだ」
    「数日間、面接ばかりの日もあるよ」
ピー  「何か無駄だな~」「通常の仕事ができないじゃん」
    「今でも同じ事をやってるの?」
パパ 「しているね」「結局、成果主義を取り入れた企業は
    皆おかしくなった」「それで成果主義を止めた企業もあるよ」
ピー  「どうしてそうなるのかね?」
パパ 「そら、日本の経営者が Made in USA に弱いからだよ」
    「聞くところによると、米国のある企業が成果主義のプログラムを
    売り込んで来たらしい」
ピー  「それは、米国文化の上に成立っているんだね」
パパ 「米国は、成果主義を容認できる文化と社会体制や制度が整備
    されていると思う」
    「日本は、ILO条約の批准が1/4に過ぎない」「そういう中での
    成果主義の導入だ。これはもう、如何ともし難いね」
    「日本は、まだまだ労働後進国なのさ」
ピー  「日本は、米国の真似をして制度だけ導入するんだね」
    「だから失敗する」
    「そもそも日本企業は、新しいシステム体系を生み出す能力に
    欠けるんじゃないのぉ?」「だから米国依存になるんだ」
パパ 「手厳しいけど、そうだと思うね」
    「日本的な個別の条件を考慮できない企業は、成果主義を導入
    すべきじゃないね」「会社がおかしくなる」
ピー  「じゃ、年功序列や終身雇用が良いって事」
パパ 「そうじゃなく、今の成果主義は日本に合わないし、あまりに
    性急な導入だったから問題ばかり生じた」
ピー  「解決方法は?」
パパ 「止めればいいと思うよ」
    「逆に社員のモチベーションが、以前のレベルに戻ると思う」
    「日本の強みを生かさなきゃ」
ピー  「じゃー、何故止めないの」
パパ 「経営者にその度胸が無いんじゃないかな」
    「ある時さ、個人的に知っている他業種の管理職から
    エグイことを言われたんだ」
ピー  「エグイこと?」
パパ 「その人が言うには、今回、うちの会社も成果主義を導入する
    ことになった。で、研修に行ったら、成果主義の悪い例として、
    お前んとこの会社が紹介されてたぞ~、って」
ピー  「悪い例? 失礼だね~」
パパ 「ハハ、事実だよ」「ある時それを、人事にモノが言える人に
    話したんだけどね~」
ピー  「そしたら?」
パパ 「現状の成果主義が悪いのは分かっているんだ」
    「しかし、代替案がないから継続せざるを得ないんだ。ってさ」
ピー  「アホや。救い難い」  

2009年5月11日月曜日

レトレッキング

1000円の大渋滞、旅先での四日連続の雨など、おいらの悲惨なゴールデンウィーク。

でも、たった一日だけ晴れたその日に、日本百名山のひとつ、『編笠山』に登頂したんだ。

        レッツ、レトレッキング!!


春まだ浅い南八ヶ岳山麓。 ここは、ウィルダネスアドベンチャーの入口。
先ず、登山者名簿に登録。 もちろん、おいらの名前もしっかり記入。


いよいよ、ここから頂上まで3時間半のレトレッキング開始。
おいらは、ノーリードになるんだ。


針葉樹林帯を行く。
先に行っては、何度も振り返って、おっ父とおっ母を待つんだ。


標高1880メートル地点。 ちょっと休憩タイム。
    

荒々しい南八ヶ岳の登山道。
おっと、道を間違えるところだったよ。 こっちこっち。


後ろに・・・     雲の上から富士山が見えてるよ。



ここは、押手川という休憩地。
標高2000メートルを越えると、残雪があるんだよ。
みんな、登山靴にアイゼンを着けてるんだ。
     

おいらの爪は、アイゼンの役目をするから、凍結した登山道も平気さ。
出会う人が、みんなびっくりしてた。
   

鉄梯子の難所。  白樺林が続く。
こんな所は、まわり道して、先回りする機転も。


そろそろ森林限界。 おっ父、おっ母、気をつけてね~。滑るなよ~。
人間って、自然に弱いなあ。
   

岩場の稜線から首を出して・・・  おっ父とおっ母、頑張れよー!! 
先に行って待ってるからね。
   


(こうして待ってたタフなヤツ。 ピート、3000メートル峰を望む)
手前に見えるのは、権現岳。奥にそびえるのは、主峰赤岳。
おっ父とおっ母は、赤岳に二回登頂したんだって。
   

空を見上げて・・・
おいらの背中遠くに蓼科山。 その向こうは、白樺湖・車山高原・霧が峰・
美ヶ原へと続く。
   

頂上の雪渓にて、しばし考える。
頭のてっぺんには、阿弥陀岳。どれも3000メートル級の高山。
   

じーっと一点を見つめて。
   

おっ父~、腹減ったあ~。(やっぱり、そうなるか。)
   

南アルプスを背に。
おっ母、初対面のおばちゃんと、しゃべりまくってまーす。


岩が、太陽熱で温まっていてホカホカ。
ウェイトが、いつの間にかウトウトに。
   

おいら、初の2500メートル超え! まさか次は3000メートル??


頂上にて、山男・山女の皆さんと寛ぐ。
ゴツゴツの岩の上より、こっちの方が座りがいいんだ。
    

ご飯も食べたし、そろそろ下山。


登りよりも楽なはずなのに、ずっと長く感じる降り道。

帰ってからのお楽しみは、ヨーグルトのカップ食い!!


後は、寝るだけ・・・  うーん、シヤワセ~。。。
ところが、おっ父は、翌日からインフルエンザで発熱!
メキシコにもアメリカにも行ってないのに・・・  なんで??
もう、どこまでも踏んだり蹴ったりのゴールデンウィークでした~。

2009年5月1日金曜日

うーーーん!


石山寺は、源氏物語で有名なお寺。
光源氏とおいらと、どっちがイケメン??

瀬田川沿いに


最近、膳所公園から石山寺まで、川沿いに歩くんだ。(往復、けっこうキツイ!)
川面からの風が、とっても気持ちいいんだよ。