2010年3月2日火曜日

ピートとパパの会話(その87 スポーツと品格?)


ピー  「最近、スポーツでの服装とか行動が問題になっているね」
パパ 「相撲とかスノボーのことだろう」
ピー  「朝モンゴル山の相撲スタイルはさ、一体何処が問題なん?」
パパ 「相撲は単なるスポーツではなく、古代から受け継がれている神事
    なのさ~。だから、国技なんだよ」「そこを理解しないとね」
ピー  「神事?」
パパ 「相撲は、五穀豊穣を願う農耕儀礼として、神に奉納されていたんだ」
    「相撲の起源は、天照大神にまで遡ることが出来るんだよん」
    「従って、神道に基づく礼儀作法を重要視するのが、その特徴だ」
ピー  「ほう、単なる格闘技ではないんだね~」
パパ 「そうだよ~、朝モンゴル山は、そこを理解出来ずにいる」
    「彼ばかりでなく親方衆も、相撲の品格とは何ぞや、という問いに
    答えられずにいる」「そこが問題だねぇ」
ピー  「興行として、技の伝承だけで済ませているのかぁ」
    「ほと、相撲の品格とは、この神事を如何に理解して行動しているか、
    と言う事だね」
パパ 「そう、そのことに対する理解度が、品格や節度となって行動に
    現れてくる」「例えば、負けた相手に如何に敬意を払えるかだ」
ピー  「神事に於ける行動様式だね」
    「単純に勝ち負けだけを決める世界じゃ無いと言う事かぁ」
パパ 「昔さ、タイのキックボクシングが流行ったろう」
ピー  「TVがまだ白黒だった時代だね」
パパ 「当時、タイ選手が競技前に祈りを捧げる儀式を行っていた」
    「それも笛や太鼓の鳴物入りでね」
    「日本人は、これを単なる精神高揚の踊りとしか見ていなかった」
    「だけどタイは仏教国だ。当然格闘技の中にも仏事の精神が
    存在する」
ピー  「なるほど~、タイのキックボクシングも仏事なんだ」
    「朝モンゴル山の立場は、そこを理解出来なかった日本人と同じかぁ」
パパ 「これは、朝モンゴル山個人の問題ではなく、伝統に対する教育を
    怠った相撲界や文部科学省の問題だね」
ピー  「相撲が興行収入だけの世界になっちまってるのか~」
パパ 「あのね、相撲はどうして裸で行うのか解るかい?」
ピー  「うーん?、おいらは万年裸だけどね~」
パパ 「これは、神々に対する敬意を表しているのさ」
    「俗世間の物を身に纏わない事で、神前での清さを表現しているんだ」
    「つまり、相撲は神に捧げる神聖なる闘技と理解し得る」
ピー  「ほう~、御前格闘技だ」
パパ 「横綱の注連縄(しめなわ)にも意味があるんだよん」
    「注連縄というのは、神が寄りつく場所に張るから、それを身につけた
    横綱は御神体を体現しているんだ」
ピー  「横綱というのは、そんなに神聖なものなのか~」
パパ 「神垂(しで)も垂らしているから、そこは神が宿る神域と理解できる」
ピー  「相撲の様式には、特別な意味が沢山あるんだねぇ」
パパ 「土俵入りで、横綱が両手を上げている姿は、神社の鳥居を表現して
    いるようだ」
ピー  「相撲は、元々奉納試合から始まったんだろう?」
パパ 「そう、五穀豊穣を願う稲作信仰が起源だと言われている」
    「ほんで、天皇が相撲観戦をするのにも理由があると思っちょる」
ピー  「国技だから?」
パパ 「歴史を遡ると、天皇家は五穀豊穣を祈願する司祭だった、とパパは
    考えているんだ」「国の政(まつりごと)を取り仕切って、官位を
    与える権威を独占していたとも言える」
    「その意味から考察すると、天皇は三島由紀夫の言う'穀物神'なんだ」
ピー  「そこに天皇が相撲を観戦する意味合いがあるんだね」
パパ 「土俵も神が宿る神奈備(かんなび)という考え方があり、そのため
    土俵の中心には、神への供え物が埋められていると聞く」
ピー  「何処までも神道なんだ」「ところで神奈備って何?」
パパ 「神霊が宿る場所で、鎮守の森とか山とか岩とかを指すんだ」
    「そこで起こる森羅万象すべてが、神の成す業と考えるのじゃよ」
ピー  「夫婦岩とかだね」
    「ほと、山の場合は、それが山岳信仰となったのかぁ」
パパ 「ほんでね、空海が高野山を開き、最澄が比叡山を開いたんじゃよ」
    「これは、山に対する畏敬の念から生じたと考えられる」
ピー  「は~ん、だからおいら達犬族が山へ登ると嫌がる人がいるのか~」
パパ 「そいう人達は、犬が嫌いなのではなく、山を聖域と考えているんだ」
ピー  「でも昔から山には、狸や鹿や熊なんかも生息してるじゃんか」
パパ 「自然のものは全て神聖なものという考え方だ」
    「でも、ピート達は人間に係わっているから、俗っぽいと認識され
    るんだ。それでだよ」
ピー  「日本人の心には、そういう自然への信仰が存在してるのかぁ」
パパ 「自然崇拝・精霊崇拝というか、自然にある全てのものには霊魂が
    宿るという考え方だね」「相撲もそういう概念に支配されてきたのさ」
ピー  「それでか~、相撲に限らず日本の武道には、神道に通じる考え方
    があるのは~」
パパ 「日本のスポーツは、根性根性と言ってきたろう。これは神道に基づく
    精神論であり、勝ち負けが最終目標では無いのさ」
    「そこには、精神を鍛錬して神に近づくという古代の美意識がある」
ピー  「ほう、三島由紀夫の世界だね~」
    「だから外人には理解し難いのかぁ」
パパ 「しか~し、欧米の勝負を目的とするスポーツの考え方が入ってきて、
    日本も変化したのじゃよ」
ピー  「単に勝てば良くなったのかい?」
パパ 「話を突き詰めれば、相撲の資本主義化だ。興行収入としてのね」
ピー  「スポーツも経済学の範疇に入ったんだ。はは」
パパ 「朝モンゴル山から見れば、相撲も単なる興行格闘技の一つとしか
    写らないから、勝てばガッツポーズも出ようというもの」
    「ま、日本へ稼ぎに来ているという感覚だろうね」
ピー  「スノボーはどうなのよん?」「国母パンツに批判集中だけど」
パパ 「あれは、スポーツとしての歴史が極めて浅い」
    「神道というか、外国でのアニミズムというか、そういう根源的な
    精神が存在しない」「それ故、気楽なスポーツに思える」
ピー  「米国生まれのスポーツは、そういう傾向にあるね」
パパ 「本来的に楽しければ良いんだ。それが米国のスポーツというもの」
    「国母パンツは、その気楽さを公式の場に持込んだんだ」
ピー  「それが問題となった?」
パパ 「公に於ける行動様式の教育を受けていないんだな~」
    「だから、公的な場に於いても、服装なんて関係ねぇ、ということに
    なる」「極めて粗野なる自由や個性の表現だ」
ピー  「オリンピックは、開催国の元首も出席する国際大会だからねぇ」
    「町内の運動会とはちゃうわね」
パパ 「公の場は社交場でもあるから、正装をするのが建前なんだが・・」
    「国母パンツは、そこへガキの姿で出てきた」
ピー  「公私の違いをわきまえる能力に欠けるんだ」「先程の品格だね」
    「でも、あの国母パンツの事件で、スノボーに注目が集まったとか」
パパ 「品格の無さに注目が集まっただけだよ」「スノボーは、品格には
    程遠いスポーツだと評価されちまったい。ったく」
    「人々は、国母パンツという人間を通してスノボーを見てしまった」
    「そこに、日本を背負っているという大変な重責を感じる筈なんだが
    ねぇ・・」「浅はかとしか言いようが無い幼稚さだ」 
ピー  「国母パンツは、そこを理解できないのかぁ」「だとすれば、スノ
    ボー界に大変な迷惑を掛けたことになるね」
パパ 「真央ちゃんの発言や行動とは雲泥の違いがある。残念なことだが」
ピー  「なるほど、どえらい違いだ」
パパ 「但し、NHKで放映していたドイツ人のスノボーメダリストは、
    科学的に物事を考える常識的な人物だった」
    「やはり日本では、国母パンツの行動や言動が、スノボーのイメージ
    を悪くしてしまったんだなぁ」
ピー  「スノボーは、どうしてあのブカブカの服装で滑るのかなぁ」
パパ 「あのスタイルは、スキーやスケート選手のようなスマートさが無い」
ピー  「不細工だね~」
パパ 「空気の抵抗も大きい筈だが・・」
    「あの種の競技スタイルは、ファッションと一体だから訳が解らん」
    「サブカルチャーの発展型だ」
ピー  「だとすれば、ファッション点も加味すればいいんだ。ヒヒヒ」