2008年8月15日金曜日

ピートとパパの会話(JAZZ編その7)


ピー 「ところで、ジャズの聴き方って?」
パパ 「主にジャズコーヒー店での話をするね」
ピー 「所謂ジャズ喫茶ね」
パパ 「ジャズは、敗戦後進駐軍と共に、アメリカの
    偉大な大衆音楽として日本に入って来たんだ」
ピー 「偉大なというところに、何かありそうだね」
パパ 「最初にジャズは、黒人の自由への解放感を表現
    したもの、と言ったよね」
   「だから黒人聴衆は、楽しく自由を満喫しながら
    ジャズを聴いたんだ。スウィングしながらね」
ピー 「それが日本人の聴き方にも影響したのかな?」
パパ 「実は、影響しなかったんだ」
ピー 「ええっ? だってジャズは楽しいものなんだろ」
パパ 「それがね、ジャズはアメリカ文化の最たる象徴として
    入ってきたから、日本人は崇め奉ったんだな」
   「だから神妙に、スウィングすることなく聴いたんだ」
ピー 「何か変な気がするなー」
パパ 「50~60年代にジャズ喫茶へ通っていた人は、
    概ねこのような感じの人が多い」
   「パパもその昔、何回かジャズ喫茶へ行ったけど、
    皆さん黙りこくって、煙草を吹かしながら、
    とても難しそうな顔をして、神妙に聴いていた」
ピー 「神経が疲れそうだね」
パパ 「そう、お喋りをすればマスターから叱られるし」
   「それに、一人でドタバタとスウィングしようものなら、
    ジロジロ見られて居られたものじゃない」
ピー 「う~ん、日本人特有の西洋文化崇拝主義というか、
    ストイックの極みだね」
パパ 「良く言えば、完成された芸術文化として、
    いきなり日本に入って来たから、そのような聴き方に
    ならざるを得なかった、と考えているんだ」
ピー 「クラシックのようだ」
パパ 「ジャズの本質にある解放感や自由性が体得できていれば、
    最高にアメリカンな感覚で堪能できたと思うけどね~」
   「このような現象は、ドイツやフランスでも同じようなもの
    だと思うけど、考察不足でちと分からないね」
ピー 「ライブでも、日本人は感情表現に乏しいというじゃない」
パパ 「しかし、米国でもクールジャズ以降は、白人の聴衆も
    増えて、次第に大人しく聴くようになった感じがする」
ピー 「カーネギーホールで大騒ぎはでけんわな」
パパ 「聴き方でもっと可笑しいことがあるよ」
ピー 「可笑しいこと?」
パパ 「最近、ある所である若者が、ジャズ通の人に、
    禁煙のジャズ喫茶はありませんか?と尋ねたことが
    あるんだ」
   「そしたらオッサンがわんさか出てきて、ジャズに
    煙草は付き物だ! ジャズは紫煙をくゆらせながら
    聴くのが本筋だ! とやりまくったんだ」
ピー 「煙草は、ジャズを聴く雰囲気にピッタリじゃないの?」
パパ 「それは単なる思い込みだな」
   「因みに、本場ニューヨークのジャズ喫茶は禁煙だよ」
   「それ以外にも11州禁煙だ」
   「日本にも、禁煙ジャズ喫茶が何軒もある」
ピー 「ジャズと煙草は何の関係も無いってことか」
パパ 「この手のオッサン連のことを、教条主義と言う」
   「主にジャズ喫茶で育った世代だな」
ピー 「ふ~ん、迂闊にものも聞けないなぁ」
パパ 「ま、これは仕方のないことさ」
   「ジャズのルーツを知らされず、聴くというだけの
    スタイルから入ったんだから」
   「ジャズ喫茶の聴衆は、今でも似たり寄ったりだろうね」
ピー 「日本の場合、ジャズは当時の若者のファッション
    でもあった。だから形式に囚われた、と言うことかな」
パパ 「そう、さっきも言ったけど、ジャズの根底にある
    解放感や自由感を認識することが状況的に困難だった」
   「そのため、勝手に聴き方のスタイルを設けたんだな」
   「だから一般大衆は、ジャズは難しいものと感じた」
ピー 「煙草はどうでもいいけど、思い込みの押し付けは
    いけませんね」
パパ 「本当は、世界一自由で楽しい音楽なのに」
   「’スウィングしなきゃ、意味ないよ!’ と誰かが言ったよね」
ピー 「そもそもパパは、どうしてジャズを聴きだしたん?」
パパ 「じゃー、次回にでも話そうか」