2008年8月22日金曜日

ピートとパパの会話(JAZZ編その10)


ピー 「上の写真は何なん」
パパ 「若き日のパパだ。スラロームをしている」
    「水上スキーは、オブライエンというアメリカ製だ」
    「当時、日本製の遊び道具は全くだめだった」
ピー 「若い時あったん? 信じられん」
パパ 「さて今日は、スピーカーケーブルの話題だ」
ピー 「スピーカーケーブルって、アンプとスピーカーを
    繋ぐ電線のことだろう」
パパ 「そう、その電線を換えることで音質が変わる
    という話だよ」
ピー 「それは面白い、どんどん換えちゃおう」
    「でも、そんな簡単なことで音質が変わるの?」
パパ 「本人が変わると思えば変わるし、思わなければ
     変わらない」
ピー 「うん? 何時もの如く訳がわからん」
パパ 「通常、音質が変化するということは、測定可能な
    物理量の変化を伴うんだけど、一体何が変化している
    のか検証できない。文献にも発表されていない」
    「それと、客観的な再現性があるかどうかだ」
ピー 「科学的じゃないってこと?」
パパ 「単純に言えば定性的認識であり、物理を超えた
    ところにある問題だね」
ピー 「でも、変わったと聴こえる人もいる?」
パパ 「そういう事」
    「前回のブラインドテストを思い出して見よう」
ピー 「オーディオ業界では絶対やらないテストのことだね」
パパ 「カーテンの裏で電線を換えて聴いてもらうと面白い
    結果が出るだろうね」
ピー 「実際には換えずに聴き手の反応を見たりして」
パパ 「電線で音が変わると宣伝している人々は、
    自分を売り出したいオーディオ評論家と、一儲けを企む
    ガレージメーカーだけだね」
    「一流メーカーのエンジニアからは聞いたことがない」
ピー 「そうか、電線で音が変わるなら、オーディオメーカーは
    大変だな。回路設計のやりようがない」
パパ 「電線は無酸素銅でも単結晶銅でも、音は変わらんさ」
    「パパは必要上、電線を色々変えたけど、変わった例がない」
    「子供の科学の付録に付いてくるエナメル線でも同じ音だ」 
    「それはお前の耳が悪い、俺には変わったと聴こえる、と
    言われればそれまでなんだけどね」
ピー 「でも、変わったことが客観的事実として検証できないんだろう」 
    「変わったと言うなら、実証する必要があるよ」
    「やはりオーディオは奇奇怪怪だなぁ」
パパ 「いやいや、オーディオ業界全体が奇奇怪怪で成立って
    いる以上、その経済効果を無視することはできない」
ピー 「経済を考えれば本質が見えてくる?」
パパ 「ま、少しでも材料工学や電子工学をかじったことのある人
    なら、その辺のカラクリを理解できるんだけどねぇ」
    「面白い話がある」
ピー 「またなのー」
パパ 「知り合いで、60万円の電線を使っている人がいるんだ」
    「それもたった2mの電線2本でだ」
ピー 「恐ろしい。他に買うものがあるだろうに」
パパ 「これは趣味だ、批判はいけない」
    「で、本人は全然音が違うと言うんだが、一緒に聴いていた
    他の二人も、パパと同じく全く分からなかった」
パパ 「だけど、本人が変わったと言えば、それを否定できない。
    主観の問題だからね」
    「だから本人が、変わる変わると思いながら、それこそ
    呪文でも唱えながら換えると、めちゃくちゃ音が変わった
    ように聴こえる・・・・らしい」
ピー 「自己暗示にかかるんだね」
パパ 「そう! 耳で聴くんじゃなくて脳で聴いているんだ」
    「脳には、状況を自分に都合良く補正する機能がプログラム
    されている・・・ようだ」
    「それも高価な電線ほど良い音に聴こえるよう補正される」
ピー 「ご都合主義だね。大脳生理学や精神分析学の範疇だな」
パパ 「オーディオの世界では、物理的な定量分析より定性的な
    思い込みが優先されるんだ」
    「調べてみると、色々な実例が記述されているから面白いよ」
ピー 「オカルト世界の一歩手前だね」
    「音楽を聴くだけなのに、もう疲れるよ」
パパ 「ま、変わる変わらんは当事者に任せて、我々はジャズを
     楽しめばいいんだよ」
    「次回は、いよいよジャズとスピーカーの話だよん」