ピー 「音楽教育に日本と欧米の違いってあるの?」
パパ 「あるある、特に西洋音楽はね」
「明治以降の日本は、近代化の底上げのため、
国民全体への一律教育を行う必要があったんだ」
ピー 「個人指導の教育じゃないの?」
パパ 「ちゃうちゃう。音楽に限らず芸術は、個性が昇華
したものなんだけど、その個性を尊重している余裕は
無かっただろうね」
ピー 「没個性の方針だね」
パパ 「ま~ね~、日本の義務教育下で行う音楽教育は、
例えばね、'はい四拍子、誰やー、おかしな拍子で
やっている者わぁー、クニサダ(国定)教科書のとおりに
やらんかー、バカモーン、皆と同じようにするんじゃー’
と、いう具合だね」
ピー 「ふぅ~、教育とは、皆と同様にさせることか」
パパ 「ま、一番手っ取り早い底上げ教育の方法だね」
「だから個性的で優秀な音楽家は、欧米でしか育たない」
「前回の前橋汀子も、日本の音楽教育に限界を感じ、
17歳でレニングラード音楽院へ行くのさ」
ピー 「そうか~、それで皆さん留学するのか~」
パパ 「あのね、演奏者の場合なんだけど、オケ弾きと
ソロ弾きというのがあって、音楽に対する感性が
全然違うんだ」「オケ弾きは、皆と仲良く演奏
していくタイプ。ソロ弾きは個性的だ」
ピー 「すると、日本の音楽教育は、オケ弾き向きだね」
パパ 「というより、オケ弾きにされちゃうんだな」
「日本じゃ個性は殺される」
ピー 「恐ろしい」
パパ 「ソロ弾きを目指すには、出来るだけ早く欧米で
教育を受けた方が良いだろうね」
「感性の磨かれ方が違う」
「例えば、楽譜から作曲者の意図を読み取り、
どのように感情表現すべきかを指導してくれる」
「素晴らしい演奏は、指導能力の結果でもあるね」
ピー 「'足並み揃え教育'しか受けていない日本の先生は、
個人の能力を引出したり、どのように感情表現
するかの教育技術を体得していないんだね」
パパ 「極端に言えば、日本じゃ楽譜どうりに弾けりゃいい」
ピー 「それでは何の面白味も無いね」「音楽に対する興味が
薄れる」
パパ 「それは、先生の責任というより、ま~、社会システムの
違いだろうねぇ」
「日本社会がそういう基準で出来上がっているのさ」
「企業でも、同じ物を高品質で大量生産する技術は
素晴らしいんだけどね・・・」
ピー 「この国の全てのものの在り方に、没個性という共通の
概念を感じるね」
パパ 「そらもう、教育の第一方針は、従わせることにありきだ」
「しかし、このような一律教育は、明治以降に始まった」
「維新までの文化や芸術は、世界に冠たるものが揃っている」
ピー 「明治以降は、全体主義教育の恐ろしさを感じるな~」
「で、欧米ではどうなのさ」
パパ 「個人の能力を如何に引出すかに重点を置く教育だね」
「日本のスポーツでも、優秀な選手は全て個人指導だ」
ピー 「おいらは、欧米で教育を受けたいな」
パパ 「どちらを選択するかは自由だけど、世界と競争するには、
日本流ではチト厳しいね」
ピー 「アメリカじゃ、義務教育も受けていないストリート
ミュージシャンが、素晴らしいジャズの演奏を聴かすね」
パパ 「芸術は感性だからね」
「そして、教育は、その能力を見つけ、伸ばしていくことが
使命だと思うんだ」
ピー 「日本の音楽教育って、良いところがないじゃん」
パパ 「そうとも言えない」
「例えば、ヤマハの音楽教室なんか素晴らしいね」
「教育プログラムが、物凄くシステム的に組まれている」
「あるレベルまで持上げる教育としては、最高じゃないかな」
ピー 「先程の一律教育じゃないの」
パパ 「そうなんだけど、これは日本が生み出した一律教育の
素晴らしい集大成だ」
「それ以上を望むなら、個人指導を受ければいい」
「あの、パパはヤマハと一切関係無いしぃ~」
ピー 「でも将来、プロの音楽家を目指すには、聴音も必要だろ」
パパ 「それも全てプログラム化されている」
「聴音は、プロに必要な条件だから、幼い頃から教育を
受けた方がいいね」
ピー 「日本と欧米、どちらがいいかは、その人の個性や能力
によって選択すればいいということかな」
パパ 「次回からは、皮肉や毒舌を交えながらの雑談といこうぜぃ」
ピー 「はは、与太話だね」